同時多発テロ2

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    同時多発テロ2

    同時多発テロ2
    アメリカン航空77便テロ事件
    アメリカン航空77便テロ事件 (American Airlines Flight 77) は、2001年9月11日に起きた、旅客機を狙ったハイジャック事件である。
    また、アメリカ同時多発テロ事件でハイジャックされたうちの1機でもある。
    事件にあった旅客機は、ボーイング757-223(機体登録番号:N644AA、1991年製造)のアメリカン航空77便で、犯人たちの計画通り、ワシントンDCのペンタゴンに激突し、機体は原形をとどめないほど大破した。
    事件後に、犯人はアルカーイダと判明した。
     
    ハイジャッカー
    犯人は全員、サウジアラビア人。
    ハーニー・ハンジュウル - パイロット役
    ハリード・アル=ミンザル
    マジド・モケド
    ナワーフ・アル=ハズミー
    サリーム・アル=ハズミー
     
    事件の概要
    アメリカン航空77便は、ワシントン・ダレス国際空港を出発し、ロサンゼルス国際空港へ到着する予定だった。
    AM8:20にワシントン・ダレス国際空港を出発した。
    乗客58名・乗員6名が搭乗した77便は、AM8:51からAM8:54の間にかけて完全にハイジャックされた。
    ハイジャック直後に向きを北に変え、すぐに南へ転回し、しばらくして東へ進路を変えた。
    最初の針路離脱から3分間(AM8:50:51秒まで)は、管制官と機長による正常な通信があったが、その後は通信不能となった。
    ペンタゴンへの激突の間に、2人の搭乗者が地上と電話で連絡を取っていた。
    AM9:38、ペンタゴンに突入し爆発炎上。
    機体は大破した。
    激突の瞬間は、周辺の監視カメラなどによって撮影されていた。
    また、目撃者も大勢いた。
    映像によるとほぼ水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突。
    離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸は殆ど原形をとどめなかった。
     
    旅客機激突に対する異説
    なお、77便のペンタゴン激突に関しては陰謀論者から様々な異説がある。
    最も代表的なものは、ペンタゴンに激突したのは77便ではなくミサイルだったとする説。
    この異説には批判もあるが、これらの異説を解釈しようとする調査結果なども数多くある。


    ユナイテッド航空93便テロ事件

    ユナイテッド航空93便テロ事件
    ユナイテッド航空93便テロ事件 (United Airlines Flight 93) とは、2001年9月11日に、アメリカ合衆国のユナイテッド航空93便(ボーイング757-222、N591UA, 1996年製造)がアメリカ同時多発テロに巻き込まれ、ペンシルベニア州、ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落、破壊した航空事件である。
    この事故で、乗客、乗員が、合計44人(テロリスト4人を含む)全員が死亡、生存者皆無という事態となった。
    アメリカ同時多発テロでハイジャックされた他機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便、アメリカン航空77便)とはハイジャッカーの人数が異なり、他機はすべて5人であったものの、93便のみ4人だった。
    アメリカ同時多発テロで唯一、ハイジャックされた旅客機で失敗したものとなった。
    テロリストたちの計画通りにいけば、ワシントンDCのアメリカ合衆国議会議事堂かアメリカ合衆国大統領官邸ホワイトハウスに衝突していたと思われる。
     
    ハイジャッカー
    93便の航路ハイジャッカーは全部で4人。
    ズィアド・ジャッラーフ(レバノン人) - パイロット役
    アフマド・アル=ハズナーウィー(サウジアラビア人)
    アフマド・アル=ナーミー(サウジアラビア人)
    サイード・アル=ガムディー(サウジアラビア人)
     
    事件の概要
    ユナイテッド航空93便は、ニュージャージー州のニューアーク国際空港を出発し、カリフォルニア州のサンフランシスコ国際空港に到着する予定だった。
    旅客機は、最大182人乗りだったのだが、当日は乗客37人(テロリストを含む)、乗員7人、合計44人だけしか搭乗していなかった。
    93便は、午前8時00分離陸の予定であったが、8時42分と、42分も遅れた離陸となった。
    9時00分に先にハイジャックされたユナイテッド航空175便の事態を不審に思ったUA社は全機のコックピットメインモニターに”侵入者に警戒せよ”と言う警報を出した。
    9時24分、93便は航空管制官から”他機、2機がニューヨークのWTCに突っ込んだので、ハイジャッカーには十分、注意してください”と、警告を受ける。
    9時26分に、パイロットは管制官からの警告を確認する。
     
    ハイジャック
    それから1分後、9時27分に、4人のハイジャッカーがコックピットに押し入る。
    ハイジャッカーらがコックピットに押し入った際、パイロットとハイジャッカーは一戦を交えたため、旅客機の高度が低くなったことを管制官らは確認している。
    9時28分に管制官らは、93便のコックピットで悲鳴を聞いた。
    それから40秒後、ふたたび管制官らは、93便のコックピットで複数の悲鳴を聞いている。
    管制官らは93便へ応答を求めたが、回答はなかった。
    この時点で、高度は700ft (200m) にまで落ちていた。
    9時32分、ハイジャッカーらは乗客らにたいして、アラビア語なまりの英語で、"みなさん、キャプテンは無事です。
    我々は爆弾を持っています。
    無事でいたければ、その場に静かに座っていてください。
    "とインターホンで話すが、これはハイジャッカーらの誤りで、航空管制通信の電波を通じて管制官に伝えられていた。
    管制官が、"もう一度ゆっくり言ってもらえますか"と返答すると同じ言葉が返ってきた。
    ハイジャッカーらがこの誤りに気づいていたのかどうかは、わかっていない。
    その後、93便は進路を東に変えながら高度を下げていく。


    乗客・乗員との連絡
    乗客・乗員との連絡
    ハイジャックがあってから乗客10人と乗員3人は、管制官や家族へ携帯電話や機内電話で連絡をする。
    乗客や乗員らの連絡で明らかになったのだが、1番はじめにコックピットに入っていったのは、1B(最前列)に座っていた人とのことなので、その人物は、パイロット役のジアード・ジャーラーだとされる。
    その後、残りの3人のハイジャッカーがコックピットに入っていったという。
    2人目はナイフで武装していて、3人目は爆弾らしきものを持っていたという。
    また、このときパイロット2人と乗客の男性1人がナイフで刺された。
    93便からの最初の通報はファーストクラスの乗客、トム・バーネットが妻に、"ハイジャックされた、通報してくれ"と電話したのが最初とされる。
    乗客はその後の電話で飛行機2機がWTCに激突した事を知る。
    その後は乗客も乗員も、ハイジャックされた他機について質問するようになる。
    トム・バーネットは妻に対して電話で、"心配しないでくれ、我々は何か対策をとるつもりだ"と伝えている。
    彼以外にも複数の乗客が、"今から飛行機を取り戻す"などの言葉を残していた。
    このことからこの時点で乗客らは、ハイジャッカーに対して攻撃的になっていたと推定される。
     
    墜落
    9時53分、ハイジャッカーらは乗客の行動を察知してか"連中が来たら非常用の斧を使え"との会話が記録されている。
    9時57分頃、乗客トッド・ビーマーの言った言葉は "Are you guys ready? Let's roll.(用意はいいか?やってやろうぜ)"。
    その掛け声で乗客たちはハイジャッカーに襲い掛かって行ったと思われる。
    9時58分、ボイスレコーダーに乗客の怒鳴り声や大量の皿などが割れる音が記録されている事から、叫びながら配膳カートを押し立ててハイジャッカーに勇敢に立ち向かっていったと思われる。
    9時59分には乗客がコックピットのドアを叩き壊そうとする音が聞こえ始める。
    その音に混じってハイジャッカーが"ドアを押さえろ、絶対中に入れるな"と指示している。
    10時00分、機体が急降下、急上昇を繰り返す。
    10時01分、ハイジャッカーが"墜落させてやる、酸素を止めろ"と指示する。
    10時03分、同機は、933km/hものスピードを出したまま、ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落する。
    墜落理由には、ハイジャッカーたちの操縦ミス、乗客や乗員たちの抵抗などがあげられる。
    有力な説は、男性の乗客達がコックピットに突入を試み、飛行機の操縦をしていた犯人が「もう逃げられない!ここで落とすぞ!」と言い残し、墜落したと言われている。
    また、墜落直前に男性乗客達がコックピットに進入をしたと思われる。
    これは、遺族のみに公開された、ボイスレコーダにドアが開く音が残されていたことからの推定である。
    その後、墜落現場には慰霊施設が建てられている。
       

    被害
    被害
    世界貿易センタービル
    世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上した。
    この時点では多くのメディアがテロ行為ではなく単なる航空機事故として報じた。
    ジョージ・W・ブッシュ大統領も「第一報を受けた時点では航空事故だと考えた」と発言した。
    1機目の激突は、数日前から地元消防署の日常を取材していたフランスのテレビ局から派遣されていた兄弟によって偶然撮影(ガス漏れの通報があり、出動していた消防隊に同行していた)され翌日に報道されている。
    続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。
    2機目の激突は1機目の激突後に現場のテレビ中継を行っていた際に発生し、世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間に起こった事件であったため、前代未聞の衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事になった(この時点で、事故ではなく故意に起こされた事件であることが認識された)。
    また、2機目の旅客機が激突する瞬間はプロやアマチュアを含む多くのカメラマンにて撮影されている。
    ツインタワーは、建設当時の主力ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった(衝突のダメージのみを換算されていたものであり、ジェット燃料の延焼による火災のダメージは換算されていなかった[要出典])。
    だが、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は吹き抜けを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。
    次いで火災の熱による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。
    北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。
    かつて世界最高とされたツインタワーは両棟ともに完全に崩落した。
    ツインタワーは、特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。
    特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。
    それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためである。
    南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。
    また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。
    ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした。
    また崩壊時の破片や煙により、ビル外でも数人が命を落としている。
    一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助された。
    北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、8時間後に敷地北隣の高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。
    道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。
    これらのことからニューヨークでは合計で2749人が死亡するという大惨事になった。
    この事件以降、世界貿易センタービル跡地は「グラウンド・ゼロ(爆心地)」とも呼ばれている。

    熟女
    国防総省本庁舎
    アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)は9時38分にアメリカン航空77便(ボーイング757)の突入を受けた。
    大爆発が引き起こされてビルの一部は炎上し、10時10分に4階が崩壊、10時15分に1階までが全て崩壊した。
    77便の乗客・乗員全員が死亡し、189人の国防総省職員も死亡した。
    激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、すぐにFBIによって回収、調査された。
    事故現場はボーイング757の機体の判別が困難なほど焼けたが、ビルの倒壊は5層になっているビル全体の1番と2番で抑えられた。
    また、この部分は長官執務室の反対側であり、ビルの補強工事中で普段よりも職員が少ないことが被害を抑えた。
    世界貿易センタービルへの突入の影響で情報は錯綜し、最初の報道は単なる爆発炎上というだけであったが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言された。
     
    防空状況
    テロ当日は北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の年に一度行われる訓練の日であり、東海岸から離れた場所で万全の防空体制で訓練に当たっていたはずだった。
    しかし連邦航空局(FAA)からアメリカン航空11便ハイジャック発生の第一報が入ったのは8時40分(それ以前に入っていたという説もある)ごろで、マサチューセッツ州のケープコッド南西部にあるオーティス空軍州兵基地(Otis Air National Guard Base)からF-15戦闘機2機がスクランブル発進したのは8時52分だった。
    スクランブル発進したF-15はアメリカン航空11便を追跡するよう命じられたが、発進した時11便はすでに突入した後だった。
    管制室は途中からユナイテッド航空175便を追跡させているという認識だったが、状況の把握が不十分で、パイロットも何を追跡しているか認識できていなかった。
    同機は一旦ロングアイランド湾で待機するよう命じられ、ニューヨーク上空への進入を命じられたのは175便が突入した後だった。
    しかしF-15には旅客機攻撃の権限が無く、突入を止めることは不可能だったとされる(進路妨害は可能だったという指摘もある)。
    ワシントンD.C.には、ノースカロライナ州上空で訓練していたF-16戦闘機3機が呼ばれたが、飛来したところで基地への着陸待機を命じられた。
    3機はアメリカン航空77便の追跡を命じられ再度離陸したが、もともと訓練中だったために燃料が不足し始め、うちの2機は訓練用の模擬弾しか装備していなかった。
    9時30分に別のF-16が3機発進し、ワシントン近くに飛来したが、これらには攻撃用のサイドワインダーが装備され、旅客機撃墜の権限が与えられていた。
    しかし、結局77便に合流することは無く、9時38分にペンタゴンへの攻撃の阻止には至らなかった。
    オハイオ州上空を飛行していたユナイテッド航空93便の付近で、積荷の搬送を行っていたC-130輸送機が、管制官から93便を捕捉するように命じられた。
    C-130は93便墜落の際、17マイル離れたところに位置していた。
    また、ワシントンD.C.から実弾を搭載した1機のF-16が93便の追跡に向かったという話もある。
    NORADから10時6分にスクランブル発進命令があった2機のF-16が発進したのは10時16分だった。
    別の2機のF-16が93便を追跡していたという話もあるが、公式な発表にはない。
    さらに事故から約10分後に現場のはるか上空を戦闘機らしい航空機1機が通過するのを目撃された。
    NORADはFAAから93便墜落の報告を受けたのは10時15分で、10分近く93便の追跡を続けさせていた。
    FAAがアメリカ合衆国中のすべての空港の閉鎖の措置を決定したのはツインタワーへの2度目の攻撃の直後からで、9時45分に全米の空港からの民間機の離陸が停止され、飛行中のすべての民間機は直ちに最寄の空港へ着陸するよう通告された。
    熟女netとの旅行を考えていた。

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