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首脳の動き
ジョージ・W・ブッシュ大統領はフロリダ州におり、小学校の授業を視察する予定だった。 1機目のツインタワー攻撃の際には小学校へ向かう専用車の車中にいたが、このときは航空事故だと考えていたとされる。 ただし、一時的にホワイトハウスとの間で電話会議が行われた。 また補佐官ら周辺も同じように事故と考え、予定通り小学校へ入った[要出典]。
授業視察中に2機目のツインタワー攻撃があり、補佐官から視察中のブッシュ大統領に「合衆国が攻撃されている」との報告を受けたが、ブッシュ大統領はすぐに動かずに7分間、小学生の朗読を聞いていた(この映像は後に『華氏911』などで取り上げられ、事態の深刻さを把握していなかったとされる大統領の対応が批判された)。 また、隣室に待機していたシークレットサービスらも動かなかった。
朗読が終わるとブッシュ大統領は小学生を誉め、隣室で補佐官と話し、電話でライス補佐官と州知事に連絡した。 その後、テレビカメラで国民へ呼びかけ、9時30分頃に小学校から出発し、3マイルのところにある空港へ向かった。 エアフォース・ワンが離陸したのは9時55分である。 このとき護衛の戦闘機は無かったが、このときアメリカ国内上空には、未だに連絡の取れない旅客機が11機あった。 その後、空軍基地で事態の沈静化を待ち、夕刻にワシントンD.C.へ帰還した。
チェイニー副大統領と数人の閣僚、ライス国家安全保障担当補佐官(現国務長官)はホワイトハウスで執務を行っていた。 彼らはツインタワーへの2度目の攻撃の直後、シークレットサービスにつれられて地下壕へ避難した。 なお、未確認であるがホワイトハウスの屋上には防空用のスティンガーミサイルが備え付けられている。 その後、閣僚らがヘリコプターで避難したのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。 また、チェイニー副大統領は軍事補佐官に攻撃許可を求められ、ブッシュ大統領が不在の為、乗っ取られた飛行機の撃墜を許可した。 しかし決定が出たのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。
ラムズフェルド国防長官は上級軍人と朝食をとった後、ペンタゴンの執務室へ入って議員と懇談していた。 ラムズフェルド国防長官にツインタワー「攻撃」の知らせが入ったのは、ペンタゴン攻撃のわずか2分前であり、アメリカン航空77便がワシントンに向かっていることは知らなかった。 また、平時のペンタゴンにはホワイトハウスのような防空装備が無い。 攻撃の後、ラムズフェルド国防長官が建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていた為、彼女を抱えて避難し、救急車が来るまで看病していた。 現場から避難したのはその後で、数十分が経過していた。
パウエル国務長官は南アメリカのペルーを訪問中であったが、ツインタワーおよびペンタゴンへの攻撃の報告を聞いてすぐに帰国した。
ロシア連邦のプーチン大統領は、この一報に対し「アメリカ合衆国軍が必要な動員をかけたとしても、直ちにロシア連邦軍に迎撃体制を取らせることはない」とホットラインでブッシュ大統領に告げた。 ロシア連邦軍にはソビエト連邦軍時代から継続して、アメリカ軍が大規模な動員をかけるとそれに反応する様に指揮系統が準備されている。

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報道
同時多発テロ事件はテレビ、ラジオ、インターネットなどを通じて全世界にリアルタイムで伝えられた。 連日、新聞や週刊誌なども最大級の扱いで事件を伝えた。
アメリカ合衆国
テレビが朝のニュースショーなどを放送していたニューヨーク時間(アメリカ東部夏時間)8時46分、ハイジャックされたアメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に突入・炎上した。
CNNは8時49分から、ABC、CBSなど他のテレビ局も8時50分前後から特別報道番組を開始。 世界貿易センターのそびえ立つロウアー・マンハッタン方面を向く情報カメラや、マンハッタン上空あるいは隣のニュージャージー州上空を飛ぶ報道ヘリコプターが建物の様子を伝え始めた。 報道番組が始まって間もなく、フロリダ州サラソータの小学校を訪問していたブッシュ大統領も側近から事件を知らされた。
推移を見守っていた矢先の9時3分、1機目突入から18分後、南棟にユナイテッド航空175便が突入した。 建物から巨大な炎が上がり、目に見える限りの状況を伝えていたアナウンサーはこの瞬間、一様に悲鳴や叫び声を上げた。 数分後、ブッシュ大統領がカード首席書記官に2機目の突入を耳打ちされた。 この時の映像はすぐには放送されなかったものの、のちに映画華氏911などで広く使われることとなる。
首都と連絡を取り合った大統領は9時30分に演説を開始。 テレビ各局も大統領の第一声を放送した。 その後、サラソータを飛び立つエアフォース・ワンの映像も伝えられたが、目的地は不明確なままであった。 政府首脳陣の緊張が高まる中、9時37分、アメリカン航空77便がペンタゴンに墜落した。
ほぼ同時刻、ハイジャックされたユナイテッド航空93便の乗客・客室乗務員は地上にいる家族などに機内電話をかけ始めていた。 すでに全米のテレビは事件報道一色となっており、その映像を見た何人かが電話を通じ、93便上にいる乗客などにニューヨーク・ワシントンで起きている事件の模様を伝えた。 乗客たちはこうした情報を入手したことでハイジャックが自爆攻撃の一環であると悟り、93便の奪還を図ったものと考えられている。
アメリカ合衆国のテレビはその後、世界貿易センタービルが次々に崩落する瞬間を中継し(南棟9時59分、北棟10時28分)、さらに93便がペンシルベニア州に墜落したと伝えた(10時3分墜落、報道は30分以上後)。 一連の事件は衛星を通じて世界中のテレビに同時中継された。 テロ報道は日曜深夜まで休むことなく、CMもなしで放送し続けた。 特にネットワーク3局の夕方ニュースのアンカーは最長で1日17時間に渡って伝え続けた。
この週は新番組が始まる時期だったので、軒並み放送が順延され、内容変更を強いられた番組もあった。 ヨーロッパ諸国でも同様の特別報道がなされた。 また、アメリカ国内に本部を置くCNBC(ヨーロッパ/アジア向け)やCNNインターナショナルにて、本来あまり放送されないアメリカ国内向けの放送を全編放送し続けた。
ネブラスカの空軍基地などを経てホワイトハウスに無事帰還したブッシュ大統領は20時30分、全米に向けた演説を行い、国民にアメリカ国家が未だ健在であることを示した。 この演説も全世界に伝えられた(日本では12日9時30分)。

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日本
以下、日本における報道については日本時間を使用する。 現地時間(アメリカ東部夏時間)は、日本時間から13時間を引いて算出して下さい。
2001年9月11日は台風15号と台風16号が関東地方と沖縄を襲い、多くの被害をもたらしたため、テロ発生までのニュース番組はこの話題一色となっていた。 22時ごろ、「ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が激突(1機目のアメリカン航空11便)」という情報が、各局のニュース番組またはニュース速報で伝えられ始めた。 22時から始まった「NHKニュース10(NHK総合)」でも、冒頭のヘッドラインは台風の話題だった。 しかし、カメラの前に登場したキャスターが発した最初のニュースは台風ではなく、このテロの第一報だった。
第一報を伝えるニュースの画面に映し出されたのは「炎上するビル」の第一報であり、「事故」なのか「事件」なのかは明らかでなかった。 1機目激突の瞬間を捉えた報道機関のカメラはなく、フランス人カメラマンが撮影した映像は翌日まで放送されなかった。 ただ、NHKニュース10に出演していたコメンテーターは、晴天時での不可思議な激突状況からか2機目突入前からテロの可能性を指摘していた。 CNNでも同じような理由からテロの可能性が指摘されていたが、同時に、1945年7月28日にエンパイアステートビルにアメリカ陸軍のB-25爆撃機が衝突した事故を例に挙げ、操縦ミスによる突発的な事故である可能性も指摘していた(なお、1945年の事故のときは深い霧が出ていた)。 また、この時点で「激突した航空機は小型の双発機」であるとの情報が報道されていたが、「小型」の根拠や、「双発機」という語の解説がなされないなど、情報が錯綜していた。
直後の22時3分、2機目のユナイテッド航空175便がツインタワーのもう1つ(南棟)に突入。 アメリカのテレビ局の映像を使い生放送を行っていたNHKニュース10では、この瞬間が生中継された。 映像では、画面右側から飛行機が現れ、燃え上がる北棟の真後ろに隠れるように見えた。 北棟の真後ろには南棟があった。 数秒の後、南棟を襲った巨大な爆発によって炎と黒煙が上がる様子が映し出された。 南棟が北棟に隠れていたため画面を通して見れば1機目の激突で炎上する北棟が2度目の大爆発を起こしたように見え、NHKの支局の報道者は単に「今、また爆発がありました」と伝えた。 この認識は一部の視聴者も同様であったが、アナウンサーが「あっ!今、2機目の飛行機が突入したように見えましたが!?」と聞き返したことにより、中継を見ていた視聴者は事の重大性かつ異常性を認識するに至った。 この映像は数日の間、何度となく繰り返された。
ニュースステーションではCNNの映像をそのまま放送しており、1機目激突後の時点ではまだ事故と考えられていたため、ニュースステーションでは1機目の激突により炎上する北棟の映像を暫く流した後、台風関連のニュースを伝えていた。 この間に2機目の突入が起こったため、突入の瞬間は生放映されなかった。 しかしすぐに再びWTC関連のニュースに切り替えられた。 尚、この時メインキャスターの久米宏は夏季休養中であり、進行は渡辺真理が務めた。

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22時20分頃、NHKは「旅客機がビルに激突したとみられる」と伝えた。
22時30分、フロリダ州の小学校を訪れていたブッシュ大統領が記者会見で「明らかなテロ」と発言した。 22時45分頃、「ペンタゴン(国防総省)が炎上」というニュースが各局で伝えられ、ニューヨークとワシントンの一連の事件は「同時多発テロ」であるとの見方が固まった。 間もなく炎上するペンタゴンの映像も放送され、爆発・火災の原因が3機目の旅客機の可能性があると伝えられた。 旅客機がハイジャックされていたという現地メディアの報道も国内に伝えられ始めた。
各ニュース番組では、2つの台風や、前日の千葉県における狂牛病疑惑の牛発見など、放送予定だった他のニュースより優先して、ニューヨーク・ワシントンとの中継映像が放送され続けた。 時間(事件の拡大)とともに民放各社も次々に通常番組を打ち切り、臨時ニュースの放送を開始した。 TBS系列は22時37分、放送中の毎日放送制作ジャングルTV ?タモリの法則?を途中で打ち切り、筑紫哲也ニュース23を前倒しで開始。 フジテレビではドラマウソコイ最終回を放送中だったが、番組の途中でニュースを何度か流した後、ドラマ終了直前から報道特番を開始した。
23時過ぎ、世界貿易センタービルの一つが崩壊したと報道され(南棟)、23時半過ぎにはビルの両方が崩壊したと報道された(北棟)。 NHKではどちらもワシントンと中継を結んでいる間に崩壊が起こり、崩壊の映像は中継されなかった。 しかし間もなく、巨大な超高層ビルが次々に崩壊し、膨大な瓦礫と化してマンハッタン南部が炎と煙で覆われるという衝撃的な映像が全国に報道された。 23時40分頃、4機目(ユナイテッド航空93便)がペンシルベニア州西部に墜落したというニュースが伝えられた。 NHKのアナウンサーは次々と起こる惨劇を報道する中で「信じられないような映像をご覧いたただいていますけれど、これは現実の映像です。 」と発言した。
日本のほとんどのメディアは徹夜でニュースを伝え続け、深夜のCMが全面休止され終夜放送を行った[2]。
翌9月12日の午前6時25分、世界貿易センターの第7ビルが崩壊した。 8時30分ごろ、日本人の大学生1人がユナイテッド航空93便に搭乗していたと報道された。 9時30分からブッシュ大統領がホワイトハウスで行った演説が中継され、10時20分から小泉首相、福田官房長官が首相官邸で記者会見を開始した。 午後1時50分ごろ、1機目激突の瞬間を撮影したフランス人カメラマンの映像が放送された。 こうしてこの日もほとんどテロ事件関連ニュース一色となった。 夜のゴールデンタイム枠ではお笑い・バラエティ番組が休止され、特別番組が放送(TBSのナイター中継は通常時間より1時間短縮放送し、特別番組を放送)された。
テレビでは事件から1週間ほどは通常番組を削って特別報道番組を組む放送局もあった。 また、ビルが破壊されるシーンのあるパニック映画が自粛されるなど影響が出た。 新聞各紙も大見出しで事件を伝え、号外も発行された。 多くの週刊誌も大きく事件を伝えた。

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情報の混乱
「同時多発テロ」と呼ばれるようにテロ行為は短時間に連続発生し、その規模・被害は当時の社会において、従来型の「テロ」や「犯罪」の概念をはるかに上回るほどの凄まじさだった。 そのため情報が錯綜して正確な情報をつかめない状況が続いた。 事件発生直後の数時間(場合によっては数日間)、次に挙げるような誤報があった。 以下は当日・翌日の日本の各新聞・テレビ報道で確認された誤報の一部である。 日本の多くの新聞は訂正が締切時間に間に合わず、結果的に翌12日の朝刊のいくつかの掲載が誤報になった例も含む。
ハイジャックされた飛行機の便名・航空会社の取り違え(12日未明に確定)
「被害者は6名死亡・約1000名負傷」(1993年の爆破事件の数字、ビルの崩壊後「数千人の可能性」に)
「PFLP=パレスチナ解放人民戦線が関与」(数十分後、ダマスカスの本部でスポークスマンが否定と報道)
「国務省で自動車爆弾爆発」(誤報、被害なし)
「ホワイトハウス、連邦議会付近で爆発」(誤報、いずれも被害なし)
「ペンシルベニア州で墜落した飛行機はボーイング747」(誤報、ボーイング757)
「 11機の旅客機がハイジャックされ、数機が行方不明」(誤報、4機以外にハイジャック機は存在しない;全米に飛行禁止令が出された後も連絡が行き届かず、飛行を続けていた航空機が11機存在したことによる;ユナイテッド93でも描写されている)
「ハイジャック機がキャンプ・デービッドに向かっている;その後の報道でキャンプ・デービッドに墜落した」(誤報)
これらの状況はアメリカ合衆国でも同様で、最初は激突した航空機も大型ジェット旅客機ではなく小型民間機(単発もしくは双発小型プロペラ機など)と報道されていた。
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